筆者は美大を受験した訳ではないので、この記事は受験を考えている人の参考にはならないと思います。
ただし「デッサンも含めて絵は感じた通りのパッションで描けばいいんだよ」みたいな無責任なことは言いませんので、ご安心ください ^^;
これは筆者の素朴な疑問から始まっています。
絵のことを勉強し、研究するにつれ鉛筆デッサンは避けては通れないと気付き、いろいろ調べ始めました。
すると解説本などに凄く上手な鉛筆デッサンが載っているんですよね。
凄いのになると打ちのめされるというか、こんなの絶対ムリとか思ってしまいます。
まず根気と集中力が続かないです。
金属の缶やポット、ガラスのコップくらいまでなら何となく根性が続くかなと思います。
でも、荒縄のねじれた繊維の1本1本を忠実に再現しているのなんかを見たら、どんだけ根性あるんだ……と気が遠くなりそうでした。
あれは使命感というか気合というか、絶対に美大に合格するぞという覚悟があるから描けるんでしょうね。
筆者は正直そこまで荒縄に情熱を傾けられないです…… ^^;
で、石膏デッサンの話です。
石膏像を写した上手な人のデッサンですね。
なんでこんなに黒いんだと思ったことないですか?
筆者もデッサンを始めた頃は、見たままを忠実に再現するものと思っていたので、真っ黒な石膏デッサンを見たときは、なんかズルいとまでは言いませんけど、事実と違うじゃんと思ったものです。
なぜあんなに黒く塗るのか?という疑問に対しての答えは
「そっちのほうが迫力あるから、演出だから、明暗の幅を広げることで表現の幅が広がるから」……などがあると思います。
カッコよくいえば「質感にとどまらず、内面と構造をあぶり出すために必要」……なんて言い方もできるかもですね。
石膏像に内面なんてあるのかと思うかもしれませんが、どう捉えているかという作者(描く人)の解釈は表現せざるを得ないので、避けて通れない部分でもあります。
あとハイライト(全体の中でとくに白いところ)を引き立てるためには周りを黒くする必要があります。
これは演出の一種ですね。
(つづく)