ジャック・ルイ・ダヴィッド
『サン・ベルナール峠を越えるボナパルト』
石膏デッサンをしているときに気づいたことです。
他人の作品を見ていて、ふと思いました。
上手い下手だけではなく、描いた人の解釈が絵に現れるんだって。
同じ石膏像でも描く人によって微妙に表情が変わってきます。
上手い下手とは違う話です。
例えば、イケメンだな~と思いながら描くのと、優しい顔だなと思いながら描くのでは表情が変わってきます。
また描く人の年齢、性別でも変わってきます。
別々の人が同じ石膏像を描いたデッサンを並べて、描いた人のだいたいの年齢、性別を当てるクイズをすると面白いかもですね。
ただし単純じゃないところが面白いんです。
若い女性が描いたのに豪快だったり、逆に男性が描いたのに小さくまとまって大人しい雰囲気になったり。
他人の作品で、どちらも技術的に上手なんですけど、こんなに表情が違ってくるんだ~と思ったことがあります。
筆者の中でも解釈が変わってきたことがあります。
メディチのデッサンをしていたときのことです。
最初は甘いマスクで優しいだけの男に見えたのが、あるときから力強さを感じるようになり、だんだん表情が変わって最終的には精悍な顔になりました。
それがいいのか悪いのか分かりませんが、元の彫刻の作者(この場合はミケランジェロ)のパワーに圧倒されたのかもしれません。
で、平行して思ったのが、人物画を描く人がモデルさんを「意地悪な人だな」と思いながら描いたら、本当に意地悪な表情になるのかなってことです。
まぁ、なるでしょうね。
「この人、美人だなぁ」と思いながら描いたら、3割増しで美人になるでしょうね~。
そういう意味で解釈が表に出てくるって怖いなぁと ^^;
名画と言われる人物画はたいてい画家さんがモデルさんに対してリスペクトがありますよね、親愛の情。
ゴッホとか特に。
ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」
その逆の例として適切か分かりませんが、ナポレオンを描いた2つの作品。
ポール・ドラローシュ
『アルプスを越えるボナパルト』
表情が全然違いますよね。
まぁ、これはこれでカワイイというか…… ^^;
(今回は以上です)