この全3回シリーズの前編
第1回はコチラ
人体の比率がおかしい名画の例、2つ目です。
アングル「グランド・オダリスク」
胴体がやたら長いです。
とくにウエストのくびれからお尻の下までが長い
前編で紹介したボッティチェリのは、首を長く描く時代だったみたいです。
他の画家もそうしてましたので、ボッティチェリが間違ったという訳ではなく、わざと長くしてたんです。
アングルのは発表から延々と10年間くらい批判されたようです。
反逆者とまで言われました。
モデルは内妻、愛妾とされており、彼女の複雑な立場と心情を表すために骨盤をわざと伸長させたという解釈がやがてされるようになりました。
さて、ようやく本題です。
人体のバランス、比率がおかしいけど許せる、許せないがあるのはなぜだろうという疑問です。
冒頭の工藤静香のが受け入れがたいのはタレント枠で二科展に入選するのはズルいというヤッカミや嫉妬があるからではないかなと。
いや、そういうのなしでも変なものは変だと感じる人はいるかもしれません。
筆者は「グランド・オダリスク」を見たとき、骨盤や胴体の長さはそんなに気にならなかったんです。
それより手の甲から指にかけてのなまめかしさ、妙にむっちりした生々しい感じが気になりました。
話を戻します。
それで、もう一度考えてみました。
人体の比率の歪みを許せる、許せないの境い目は何だろうって。
そしたら単純ですけど、「長いのは許せて、短いのは許せない」という仮説に至りました。
単純すぎて恥ずかしいですけど……。
でもそう言われれば、直立不動の立ち姿を描いた絵があったとして、手の長さが短いのと長いの、どっちがイヤかと想像してみたら、やっぱり短いほうがイヤかもと思いました。
さらに、もう1つ作品を紹介します。
あ、長くなったのでまた次回に……
(次回がこのシリーズの最終回です)
(つづく)